「どしたの?」「あのね、小説できたから。まずは約束通り、二人に読んでもらいたくて。で、感想とか、アドバイスとかもらえたらなーって」 そう言いながら、愛美はダブルクリップで綴(と)じた原稿を、二人が寛(くつろ)いでいるテーブルの上に置いた。「そっか、書けたんだ。頑張ったね! 分かった。さっそく読ませてもらうね」 原稿を取り上げたさやかは、テーブルの向かいにいた珠莉を手招き。「珠莉もこっち来て。一緒に読もうよ」「ええ、いいですわよ。愛美さん、私も僭越(せんえつ)ながら、読ませて頂くわ」「うん。じゃあわたし、自分の部屋で待ってるから」「えー? いいじゃん、ここにいなよ。ここにあるミルクティー、飲んでていいからさ。お菓子もあるし」 一度部屋に戻りかけた愛美を、さやかが部屋に引き留める。 愛美としては、誰かに自分の小説を読んでもらう時、その場にいると落ち着かないので離れていたいのだけれど……。「……うん、分かった」 自分がお願いしたことだし、こう手厚い待遇だと「イヤ」とも言いづらいので、この部屋に留まることにした。(っていうか、この寮のルールでお菓子の持ち込みってどうなってたっけ?) 原稿を読む二人をチラチラ気にしながら、テーブルの上のクッキーをつまんでいた愛美は小首を傾げた。 多分、「お菓子の持ち込みはなるべく控(ひか)えましょう」くらいしか書いていなかったような気がする。もし見つかっても、人に迷惑さえかけなければ寮母の晴美さんも何も言わないだろう。 ――小説は原稿用紙三十枚ほどの短編なので、読み終えるのに三十分もかからなかった。「――ねえ、どう……だった?」 さやかが原稿を置いたタイミングで、愛美はおそるおそる彼女に訊いてみた。 本物の編集者とかなら、ここはもったいぶって間を作るところだけれど。さやかはド素人なので、すぐに感想を言った。「いいじゃん! 面白いよ、コレ。コレならコンテストでもいいところまで狙えるんじゃない?」「えっ、ホント!?」「うん。あたし、難しいことはよく分かんないけどさ。愛美らしさが出てていいんじゃないかな。文章で大事なのって、他の人には書けない文章かどうかってことだと思うんだよね。個性……っていうのかな。この小説には、それがちゃんと出てる」「そっか。ありがと。――このお話はね、子供の頃に、私が夏休みにお
さやかには夏休みが終わる前に話して聞かせたけれど、珠莉には話す機会がなかった。さやかから彼女の耳に入っているかな……とも思ったけれど、どうやらそれもないようで。 「純也叔父さまが? ――そういえば、私もお父さまからそのお話聞いたことがありますわ。純也叔父さまは子供の頃、喘息持ちだったって」「うん、そうらしいの。その頃はまだ農園じゃなくて、辺唐院家の別荘だったらしいんだけどね。そこのおかみさんが昔、辺唐院家の家政婦さんだったんだって」 それで、純也が病気の療養のために長野に滞在する際(さい)、彼女も同行していたのだと愛美は話した。「へえ……、そうでしたの。その家政婦さん、多恵さんっておっしゃったかしら? 私が物心ついた頃にはもういらっしゃいませんでしたけど」「なんかね、五十代でお仕事辞めて、ご夫婦で長野に移住されたらしいよ。せっかくあの家と土地を純也さんが譲って下さったから、って」 千藤夫妻には子供がいない、と愛美は聞いた。我が子も同然の純也さんから譲り受けたあの広い土地を、早く有効活用したいと思った多恵さんの気持ちは、愛美にも分かる。「確か純也さん、中学卒業まではよく多恵さんたちに会いに行ってたって聞いたよ。その頃にはもう、農業始めてたんじゃないかな」 珠莉が生まれたのが十六年前。その頃にはもう辺唐院家(あの家)にいなかったということは、純也さんが中学生になった頃にはもう長野に移住していたことになる。「……私、愛美さんが羨ましいですわ。私の知らない叔父さまのことをご存じなんだもの。……あっ、別に嫉(しっ)妬(と)じゃありませんわよ!? ただ単に姪として羨ましいだけですわ!」(珠莉ちゃん……、なんか可愛い) 顔を真っ赤にして、ムキになって言い訳する彼女に、愛美は好感が持てた。 いつもはツンとしていて澄ましているけれど、こういう姿を見ると「やっぱり彼女も一人の女の子なんだな」と思うから。「――で、珠莉ちゃん。小説の感想は?」「えっ? ええ、面白かったですわよ。私、あなたにこんな文才があったなんて驚きましたわ」「あ……、ありがと。二人とも、読んでくれてありがと! わたし、さっそく明日の放課後、コレ文芸部に出してくるね!」「そっか。あ、じゃああたしも付き合ったげるよ。一人じゃ心(こころ)許(もと)ないっしょ?」「いいの? さやかちゃん、
* * * * ――そして、翌日の放課後。「じゃあ、さやかちゃん。ちょっと行ってきます!」 文芸部の部室の前で、愛美は原稿が入った茶封筒を抱え、付き添ってくれたさやかに宣言した。「うん、行っといで。あたしはここで待ってるから」 さやかに背中を押され、部室のスライドドアを開けようとするけれど、ためらってしまう。(うわぁ……、緊張するなあ。でも、頑張れわたし!) 深呼吸して、もう一度スライドドアに手をかけた。「……失礼しまーす」「はい? ――あ、入部希望者?」 出てきたのは、ポニーテールの落ち着いた感じの女の子。多分、三年生だと思われる。彼女の左腕には〝部長〟と刺しゅうが入った白い腕章がある。「あ……、いえ。入部の予定はないんですけど。――あの、わたし、一年三組の相川愛美っていいます。コレ、短編小説のコンテストに出したいんですけど……」 緊張でしどろもどろになりながら愛美は答え、抱えていた封筒を文芸部の部長に差し出す。「ああ、コンテストの応募ね。ご苦労さま。確かに受け付けました」 彼女は愛美から原稿を受け取ると、笑顔でそう言った。「部外の人の応募って珍しいのよねー。応募要項には書いてあるんだけど、なかなかハードル高いみたいで。あなたの勇気、心から歓迎するわ。結果は一月に出るから、少し待っててね」「はいっ! よろしくお願いしますっ! じゃ、失礼します」 部室を出た愛美は、書き上げた時以上の達成感を感じながら、意気揚々(ようよう)とさやかの元へ。「おかえり。――ちゃんと渡せた?」「うん! ちょっと緊張したけど、なんとか」「そっか、お疲れ。よく頑張ったね、愛美! じゃあ帰ろ」 実は、初めて上級生と話したのでものすごく勇気が要ったのだ。そんな愛美は、自分の頑張りをさやかが労(ねぎら)ってくれたことがすごく嬉しかった。 「結果は一月になるんだって」 ――寮に帰る途中、愛美はさやかに文芸部の部長さんから聞いたことを伝えた。「そっか。楽しみだねー」「うん……。でもちょっと不安かな。だって、部外の人からの応募って珍しいらしいもん。いつも部活で書いてる人たちに比べたら、わたしなんか素人だよ」 部長さんも言っていた。「部外の人からの応募はハードルが高いみたいだ」と。だから、結果が貼り出された時、その中に自分の名前があるという光景が
「そんなことないよ。文芸部の部員っていったって、プロってワケじゃないっしょ? みんなアンタとおんなじ高校生なんだからさ。文章書くのが好きなのは変わんないじゃん。もっと自信持ちなって」「……うん、そうだね」 愛美は頷く。 この高校に入れることになったのだって、〝あしながおじさん〟が自分の文才を認めてくれたからだった。それを、愛美自身が「自信がない」と言ってしまうと、彼に人を見る目がなかったということになってしまう。 愛美が自分の文才に自信を持つということはつまり、「〝あしながおじさん〟の目は正しかったんだ」と肯定(こうてい)することになるわけで。(こうして目をかけてもらった以上、ちゃんと認めてもらいたいもんね。おじさまだって、期待してくれてるワケだし) 愛美だって、期待には応えたい。だからといって、その才能に驕(おご)るつもりはない。もちろん、ずっと努力は続けていくつもりでいるけれど――。「まあ、やれるだけのことはやったからね。あとは運任せってことかなー」「そうなるね。あたしも、愛美が入選できるように一生懸命(けんめい)祈っとくよ。珠莉にも言っとくから」「……うん、ありがと。そこまでしてくれなくてもいいけど、気持ちだけもらっとくね」 ちなみに、さやかはクリスチャンでも何でもないらしい。珠莉はどうだか知らないけれど。
――それから数週間が過ぎ、十二月半ば。世間ではクリスマスの話題で溢れかえっていた。「二学期の期末テストも終わったし、やれやれって感じだね―」「……うん。っていうか、さやかちゃんってそればっかりだよね」 ある日の放課後、テストの緊張感から解放されたさやかが教室の席で伸びをしていると、それを聞いた愛美が吹き出した。 ちなみに、短縮授業期間に入っているので、学校は午前で終わり。解放感に満ち溢れているのは何もさやかや愛美だけではない。「まあねー。でも、今回は結構よかったんだ、テストの結果。珠莉も前回より順位上がってたみたい。愛美はいいなー、いっつも成績上位で」「それは……、援助してもらって進学した身だし。成績悪いと叔父さまをガッカリさせちゃうから。最悪、愛想(あいそ)尽かされて援助打ち切られちゃうかもしれないもん」 もちろん、中学の頃の愛美は成績がよかったけれど。高校の授業は中学時代よりも難しくて、ついていくのは簡単なことじゃない。それでも成績上位をキープできているのは、「おじさまをガッカリさせたくない」と愛美が必死に努力しているからなのだ。「愛美の考えすぎなんじゃないの? 本人からそう言われたワケでもないんでしょ? もっと肩の力抜いたらどう?」「うん……」 確かに、それはあくまでも愛美の勝手な想像でしかない。「成績が悪いと援助が打ち切られる」というのは、杞(き)憂(ゆう)なのかもしれない。 でも……、愛美は〝あしながおじさん〟という人のことをまだよく知らないのだ。ある日突然、手のひらを返したように冷たく突き放されてしまう可能性だってないとも限らない。(……わたし、まだおじさまのこと信用できてないのかな……?) 彼女にとっては、たった一人の保護者なのに。信用できないなんて心細すぎる。 「――愛美、どしたの? 表情暗いよ?」 ずーんと一人沈み込んでいる愛美を見かねてか、さやかが心配そうに顔を覗き込んできた。「……あー、ううん! 何でもない」(ダメダメ! ネガティブになっちゃ!) 愛美は心の中で、そっと自分を叱りつける。さやかは心の優しいコだ。余計な心配をかけてはいけないと、自分に言い聞かせた。「そう? ならいいんだけどさ。――そういえば、愛美は冬休みどうすんの? 夏休みみたいにまた長野に行くの?」「う~ん、どうしようかな……。冬場は
「うん、モチのロンさ☆ ウチの家族がね、夏にあたしのスマホの写メ見てから、愛美に会いたがっててね。特にお兄ちゃんが、『一回紹介しろ』ってもううるさくて」 ちなみに、さやかが言っている〝写メ〟とは入学してすぐの頃に、クラスメイトで関西出身の藤堂(とうどう)レオナがさやかのスマホで撮影してくれたもので、真新しい制服姿の三人が写っている。「……お兄さんが? って、この写メに写ってるこの人だよね?」 肩をすくめるさやかに、愛美は自分のスマホの画面を見せた。その画面には、夏休みに彼女が送ってくれた家族写真。そのちょうど中央に、大学生だという彼女の兄が写っているのだ。「うん、そうそう。ウチのお兄ちゃん、治(はる)樹(き)って名前で早稲(わせ)田(だ)大学の三年生なんだけど。写メ見ただけで愛美に一目ぼれしちゃったらしくてさあ」「…………え?」 愛美は絶句した。一目ぼれなんてされること自体初めての経験で、しかも直接会ったこともない人からなんて。 ……確かに、自分でも「わたしって可愛いかも」と少々うぬぼれているかもしれないけれど。「もう、ホントしょうがないよねえ。あたし、『愛美には好きな人いるよ』って言ったんだけど。『本人から聞くまでは諦めない』って言い張って。もう参ったよ」「ええー……?」 そこまでいくと、立派なストーカー予備軍である。愛美の恋路の妨(さまた)げになりそうなら、さっさと諦めてもらった方が平和だ。「……ねえ。お兄さん、早稲田に通ってるってことは、東京に住んでるんだよね?」「うん。実家からでも通えないこともないんだけど、大学受かってからは東京で一人暮らししてるよ。――そういえば、純也さんも東京在住だったっけ」 そこまで言って、さやかはようやく愛美の質問の意図(いと)を理解したらしい。「愛美は……、もし東京でウチのお兄ちゃんと純也さんが出くわすことがあったら、って心配してるワケね?」「うん。だって、わたしが片想いしてる人と、わたしに好意持ってる人だよ? 明らかに修羅(しゅら)場(ば)になるよね」 愛美は実際の恋愛経験はないけれど、本からの知識でそういう言葉だけはよく知っているのだ。「考えすぎだよー。お互いに顔も知らないじゃん。街で会ったって誰だか分かんないって。東京だって広いしさ、住んでるところも全然違うだろうし」 「そうだよね……。
「――ところで、珠莉は冬休みどうすんの? また海外?」 さやかがやっと思い出したように、珠莉に話を振った。「いいえ。我が家は毎年、クリスマスから新年まで、東京の家で過ごすことになってますの。一族のほぼ全員が屋敷に集まるんですのよ」 愛美はその光景を想像してみた。――〈辺唐院グループ〉の一族、その錚々(そうそう)たる顔ぶれが一堂に会する光景を。(……うわぁ、なんかスゴい光景かも) でも、その中にあの純也さんがいる光景だけは、どうしても想像できない。「……ねえ珠莉ちゃん。純也さんも来るの?」「いいえ、純也叔父さまはめったに帰っていらっしゃらないわね。叔父さまは一族と反りが合わないらしくて。タワーマンションで一人で暮らしてらっしゃるわよ」「へえ……、一人暮らしなんだ」 彼がひとクセもふたクセもありそうな(あくまでも、愛美の想像だけれど)辺唐院一族の中にいる姿も想像できないけれど、タワーマンションでの暮らしぶりもまた想像がつかない。(ゴハンとかどうしてるんだろう? もしかして、料理上手だったりするのかな?) まあ、お金持ちだからそうとも限らないけれど。外食とかケータリングも利用しているだろうし。「ウチはねえ、毎年お正月は家族で川崎(かわさき)大師に初(はつ)詣(もうで)に行くんだよ。愛美も一緒に行けたらいいね」「うん」 初詣といえば、愛美も〈わかば園〉にいた頃には毎年、園長先生に連れられて施設のみんなで近所の小さな神社に行っていた。 おみくじもなければ縁起物もない、露店すら出ていない、本当に小さな神社だった。でも、そこにお参りしなければ新しい年を迎えた気がしなくて、愛美もそれがお正月の恒例行事のように思っていた。「――さて、お腹もすいたし。そろそろ寮に帰ろっか」「そうだね」 ――寮の部屋で着替えて食堂に行き、お昼ゴハンを済ませると、愛美はさっそくさやかの家に招かれたことを報告する手紙を〝あしながおじさん〟宛てに認(したた)めた。
****『拝啓、あしながおじさん。 お元気ですか? わたしは今日も元気です。 期末テストも無事に終わって、わたしは今回も一〇位以内に入りました。 そして、学校はもうすぐ冬休みに入ります。それで、さやかちゃんがわたしを「冬休みはウチにおいで」って誘ってくれました。 さやかちゃんのお家は埼玉県にあって、ご両親とお祖母さん、早稲田大学三年生のお兄さん、中学一年生の弟さん、五歳の妹さん、そしてネコ一匹の大家族です! ものすごく賑やかで楽しそう! わたし、この高校に入ってからお友達のお家に招かれたのは初めてなんです。それでもって、お友達のお家にお泊りするのは生まれて初めてです。わかば園では、学校行事以外での外泊は禁止されてましたから。 さやかちゃんのお父さんは小さいけど会社を経営されてて、クリスマスは従業員さんのお子さんを招いてクリスマスパーティーをやるそうですし、お正月にはご家族で川崎大師に初詣に行くそうです。さやかちゃんだけじゃなくて、ご家族もわたしのこと大歓迎して下さるそうです。 わたし、さやかちゃんのお家に行きたいです。おじさま、どうか反対しないで下さい。お願いします! 十二月十六日 愛美 』**** ――それから四日後。「……ん?」 寮に帰ってきた愛美は、郵便受けに一通の封筒を見つけて固まった。(久留島さん……、おじさまの秘書さんから? まさか、さやかちゃんのお家に行くの反対されてるワケじゃないよね?) 差出人の名前を見るなり、愛美の眉(み)間(けん)にシワが寄る。「どしたの、愛美?」 そんな彼女のただならぬ様子に、さやかが心配そうに声をかけてきた。「あー……。おじさまの秘書さんから手紙が来てるんだけど、なんかイヤな予感がして」「まだそうと決まったワケじゃないじゃん? 開けてみなよ」「うん……」 さやかに促され、愛美は封を切った。すると、その中から出てきたのはパソコンで書かれた手紙と、一枚の小切手。「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……、十万円!?」 そこに書かれた数字のゼロの数を数えていた愛美は、困惑した。 毎月送られてくるお小遣いの三万五千円だって、愛美には十分な大金なのに。十万円はケタが大きすぎる。(こんな大金送ってくるなんて、おじさまは一体なに考えてるんだろ?)「…
「――そうだ! 次回作は〈わかば園〉のことを題材にして書こう」 自分が育ってきた、よく知っている場所のことなら書いていてリアリティーもあるし、作品に説得力を持たせることもできる。当然のことながら、主人公のモデルは愛美自身だ。「よし、次回作はこれで決定! 今年の冬休み、久しぶりに〈わかば園〉に帰って園長先生とか他の先生たちに話聞かせてもらおう」 愛美の記憶にあることはまだいいけれど、憶えていない幼い頃のことや、愛美が施設にやってきた時のことは園長先生から話を聞かなければ分からない。――それに、愛美の両親のことも。(わたし、お父さんとお母さんが小学校の先生で、事故で亡くなったってことしか知らないんだよね。どんな両親で、どんな事故で命を落としたのか知りたいな) 施設で暮らしていた頃は、まだ幼くて話しても分からないから教えてくれなかったんだろう。でも、愛美も十八歳になって、世間では一応〝大人〟なのだ。今ならどんな話を聞かされても理解できると思う。それがたとえどんなに残酷な話でも、聞く覚悟はできているつもりだ。「……うん、大丈夫。わたしはもう大人なんだから、どんな話を聞いても怖くない」 愛美は決意を新たにしたことで、自身の初めての挫折とも向き合うことを決めた。「今回ボツになったこと、報告しないわけにはいかないよね……」 もちろん〝あしながおじさん〟に、である。ガッカリされるかもしれない。けれど、失望はされないと思う。だって、純也さんはそんなに冷たい人ではないから。「でも、慰められるのもまたツラいんだよね。そこのところは手紙で一応釘を刺しとくか」 部屋に帰ったら〝おじさま〟宛てに手紙を書こう。そう決めて、愛美は寮の玄関をくぐった。「――相川さん、おかえりなさい」「ただいま戻りました。あ~、晴美さんとこうして話せるのもあと半年足らずかと思うと淋しいです」 寮母の晴美さんと挨拶を交わせるのも、高校卒業までだ。大学に進めば寮を変わらなければならないので、当然寮母さんも違う人になる。「私も淋しい~! でも、寮母として寮生の巣立ちを送り出さなきゃいけないから。毎年淋しく思いながら、断腸の思いでそうしてるのよ」「そうなんですね。あと半年、よろしくお願いします」 晴美さんにペコッと頭を下げてから、愛美はエレベーターで四階へ上がった。角部屋の四〇一号室が、三
「……あの、ボツになった理由は?」「あの作品、セレブの世界を描いてますよね? その描写が不十分というか、かなり不適切な描写があったと。先生個人の偏見のようなものが含まれていたようなんです」「ああ~、そう……ですよね。わたし、実は一部の人たちを除いてセレブの人たちって苦手で。冬休み、セレブのお友だちの家で過ごしていた時に色々と取材したんですけど。その時もあまりいい印象は持てなかったです」 純也さんとデートした日のこと以外にも、愛美はあの家に出入りしている富裕層の人たちを観察したり、クリスマスパーティーの時に感じたことも小説の中に織り込んでいた。多分、それが原因だろう。「なるほど……。冬休みといえば二週間くらいですか。富裕層の人たちのことを正しく描写しようと思えば、その程度の日数では足りなかったんでしょう」「ですよね……」 愛美はすっかりヘコんでしまい、大きくため息をついた。(わたしってホントは才能ないのかな……。純也さんの買い被りすぎ? だったら、彼にムダなお金使わせちゃっただけかも)「先生、そんなに落胆しないで。今回は残念な結果でしたけど、次回作でいい作品をお書きになればいいんです。先生はまだ高校生ですし、先生の作家人生はまだ始まったばかりなんですから。焦らず、じっくりといい作品を送り出していきましょう。僕も協力を惜しみませんから」「はい……、そうですね。次回作は頑張ってみます」 ――愛美持ちで会計を済ませて岡部さんと別れた後、愛美は自分でも悪かったところを反省してみた。(岡部さんに原稿を送る前に、珠莉ちゃんにデータを送って読んでもらえばよかったかな。珠莉ちゃんなら何か的確なアドバイスをくれたかも) 愛美にとっていちばん身近なセレブが珠莉である。彼女に最初の読者になってもらえば、「ここがよくない」とか「ここはこういう書き方の方がいい」とか助言してもらえて、もっといい作品になったはず。そうすればボツを食らうこともなかったかもしれない。(……まあ、〝たられば〟言いだしたらキリがないし、もう終わったことだからどうしようもないんだけど) 済んでしまったことを悔やむより、前に進むことを考えなければ。「次回作……、どうしようかな」 寮への帰り道、悩みながら歩いていた愛美の頭を不意によぎったのは、彼女が中学卒業まで育ってきたあの場所のことだっ
* * * * それから数週間後の放課後。この日は文芸部の活動はお休みだったので、短編集のゲラの誤字・脱字などのチェックを終えた愛美は学校の最寄駅前にあるカフェに担当編集者の岡部さんを呼び出した。「――はい。相川先生、お疲れさまでした。これでこの短編集『令和日本のジュディ・アボットより』は無事に発売される運びとなります」「よろしくお願いします。わたしも発売日が待ち遠しいです」 愛美は確認を終えたゲラを大判の封筒に入れる岡部さんに、改めてペコリと頭を下げた。 ゲラの誤字や脱字を赤ペンで修正していく作業は初めてだったけれど、思いのほか少なかったので楽しくこなすことができた。あとは一ヶ月後、本屋さんの店頭に並ぶ日を待つだけだ。(純也さん、聡美園長とか施設の先生たちにも宣伝してくれたかな。もちろん自分では買って読んでくれるだろうけど) 彼は〈わかば園〉を援助してくれている理事の一人でもあり、あの施設の関係者で愛美の書いた本がもうじき発売されることを前もって知っているのも彼だけなのだ。彼ならきっと、園長先生にはそれとなく報告しているだろうけれど。 (どうせなら、立て続けに二冊発売される方が園長先生や他の先生たちも、もちろん純也さんも喜んでくれるだろうな……)「――ところで岡部さん、わたしの長編の方はどうなりました? データを送ってから一ヶ月以上経ってると思うんですけど」 そろそろ出版するかどうかの決定が下される頃だろうと思い、愛美は岡部さんに訊ねてみたのだけれど……。「…………すみません、先生。それがですね……、あの作品は残念ながら出版できないということになってしまいまして。つまり、ボツということです」「えっ? ボツ……ですか」 彼の返事を聞いて、愛美は目の前が真っ暗になった気がした。岡部さんはあれだけ作品を褒めてくれたのに、熱心にアドバイスまでくれて、書き上がった時にはものすごく喜んでくれたのに……。(なのに……ボツなんて)「だって、岡部さん言ってたじゃないですか。『これは間違いなく出版されるはずです』って」「いえ、僕はあの作品を気に入ってたんですけど……、上が『ダメだ』というもので。僕も本当に残念だとは思ってるんですが、まぁそそういう次第でして」「そんな……」 岡部さんもガッカリしているのだと分かったのがせめてもの救いだけれど
彼も反省してたんだって知って、わたしは彼を許してあげることにしました。やっぱり彼のことが好きだから、仲違いしたままでいるのはつらかったの。仲直りできてよかったって思ったのと同時に、どうしてもっと早くできなかったんだろうとも思いました。フタを開けてみたら、こんなに簡単なことだったのに。 純也さんに、この秋に発売されることが決まってる短編集の売り込みもバッチリしておきました(笑) わたしが作家になって記念すべき一冊目の本だもん。ぜひとも読んでもらいたくて。 純也さんは今、まだオーストラリアにいるそうです。あと二、三日したら帰国するって言ってましたけど。 日本とオーストラリアには時差は一時間くらいしかないけど、あっちは南半球なので季節が真逆だっていうのが面白いですね。「こっちは寒さが厳しいから、早く日本に帰りたいよ」って彼は言ってました。帰ってきたらきたで、こっちはまだ残暑が厳しいからあんまり過ごしやすくないけど。そういえば、オーストラリアってクリスマスシーズンは真夏だから、サンタクロースがトナカイの引く雪ゾリじゃなくてサーフボードに乗って登場するんだっけ。 付き合ってる以上、純也さんとはこれから先もケンカするかもしれないけど、今回のことを教訓にして早く仲直りできるようにしようと思います。どっちかが折れなきゃいけない時には、なるべくわたしが折れるようにしたい。純也さんだって、そんなに無茶なことを言わないと思うから。 もうすぐ、編集者の岡部さんがさっき話した短編集のゲラ稿を持ってくるはず。そしたら、いよいよ商業作家としてのお仕事が本格的に始まります。長編の方はデータを送ったきり、まだ連絡はありません。今ごろ出版会議の真っ只中ってところかな。どうか出版が決まりますように……! かしこ八月三十一日 いよいよ商業デビューする愛美』****(純也さんがこの手紙を読むのは日本に帰国してからだろうな……。どうか、あの小説の出版が決まりますように!) だってあれは愛美が初めて執筆に挑戦した長編小説で、本として世に出るために書いていたのだから。自分でも、もしかしたら大きな賞とか本屋大賞が取れるんじゃないかと思うほどよく書けたという自負がある。 ――ところが、世間はそう甘くなかった。
****『拝啓、あしながおじさん。 お元気ですか? わたしは今日も元気です。 今日、さやかちゃんと一緒に〈双葉寮〉に帰ってきました。明日から二学期が始まります。 今年の夏休みも、ワーカーホリックの中学校の宿題はバッチリ終わらせました! さやかちゃんも。 珠莉ちゃんはこの夏、モデルオーディションを何誌も受けて、ついにファッション誌の専属モデルに合格したそうです! わたしに続いて、珠莉ちゃんも夢を叶えたんだって思うと、わたし嬉しくて! 二学期には自分の進路を決めなきゃいけないから、多分一学期までより学校生活も忙しくなりそう。わたしは作家のお仕事もあるから、他の子たち以上に大変だと思う……! でも、わたしと珠莉ちゃんはもう進学する学部を決めてるからまだいい方かな。問題はさやかちゃん。まだ福祉学部にするか、教育学部にするかで迷ってるみたい。わたしは彼女がどっちを選んでも、全力で応援してあげたいと思ってます。 ところでおじさま、聞いて下さい。わたし今日、やっと純也さんと仲直りできたの! 実は夏の間ずっと、彼といつ仲直りしたらいいのかタイミングをうまく掴めずにいて、わたしも気にしてたの。 確かに七月のケンカでは、わたしにヒドいことをさんざん言った彼の方が大人げなくて悪かったけど、わたしもちょっと意固地になりすぎてたのかなって反省したの。「メッセージを既読スルーしてやる」とは思ってたけど、彼からはまったく連絡が来なくて、だからってわたしから連絡するのもなんかシャクで。 でも、やっぱり仲直りしたいなと思ってたタイミングで、おじさまにも話した彼からのあの上から目線のメッセージが来て。わたしはさやかちゃんのご実家に行くことにしたから、その時にも仲直りはできなくて。 で、今日思いきって彼にメッセージを送ってみたの。電話にしなかったのは、彼がオーストラリアにいるってメッセージを送ってきてたからっていうのと、電話で話すのは正直まだシャクだったっていうのもあって。そしたらすぐに既読がついて、彼から電話してきてくれたの。 純也さん、「大人げないのは自分の方だった。ごめん」ってわたしに謝ってくれました。彼はわたしの自立心とか向上心が本当は好きだけど、同時に自分に甘えてくれなくなるんじゃないかって、それを淋しく感じてたみたい。「男ってバカだろ?」って言って笑ってました。
「……純也さんは今、まだオーストラリアにいるの?」『うん。こっちは今、冬の終わりって感じかな。でも寒さが厳しくてさ、早く日本に帰りたいよ。そっちはまだ残暑が厳しいんだろうな』(あ、そっか。オーストラリアは南半球だから日本と季節が真逆になるんだっけ) 地球の反対側にあるオーストラリアは、日本と時差はほぼないに等しいけれど、その代わり季節が逆転しているのだと愛美は思い出した。クリスマスにサンタクロースが雪ゾリではなく、サーフボードに乗ってやってくるというのが有名なエピソードである。「そうなんだよね。明日から九月なのに、まだ真夏みたいに暑いの。純也さん、日本に帰ってきたら茹(ゆ)だっちゃいそう」『それは困るなぁ。でも、あと二、三日後には帰国する予定だから。仕事も立て込んでるみたいだしね。でも、どこかで予定を空けて愛美ちゃんに会いに行くよ』「うん! じゃあ、気をつけて帰ってきてね。わたしも明日からまた学校の勉強頑張る。あと、短編集のゲラのチェックもやらないといけないから、そっちも」『現役高校生作家も大変だな。でも、何事にも一生懸命な愛美ちゃんならどっちも頑張れるって、俺も信じてるよ。……夏休みの宿題はちゃんと終わった?』「大丈夫! 今年もちゃんと全部終わらせたから。――それじゃ、帰国したらまた連絡下さい」『分かった。じゃあまたね、愛美ちゃん。メッセージくれて嬉しかったよ』「うん」 ――愛美が電話を終えると、嬉しそうに笑うさやかと珠莉の顔がそこにはあった。二人は通話が終わるまでずっと、成り行きを見守ってくれていたようだ。「純也さんと無事に関係修復できてよかったじゃん、愛美」「お二人がギクシャクしてると、私たちも何だか落ち着かなかったのよねえ。だから、無事に仲直りして下さってよかったわ」「さやかちゃん、珠莉ちゃん、心配かけてごめんね。でも、わたしと純也さんはこれでもう大丈夫。見守ってくれてありがと」 思えば七月に彼とケンカをしてから、この二人の親友にもずいぶんヤキモキさせてしまっていた。彼女たちのためにも、こうして無事に彼との仲を修復できてよかったと愛美は思った。「――さて、一応形だけでも〝おじさま〟に報告しとかないとね」 あくまで愛美が「純也さんと〝あしながおじさん〟は別人」、そう思っているように彼には思わせておかなければ話がややこしくなる
『……あのさ、俺の方こそごめん。あの時はちょっと言い過ぎたよ。大人げなかったのは俺の方だ』「ううん! そんなこと……」『君がさやかちゃんの実家に行ってたことは、珠莉から聞いた。ホントは長野で会えたら、その時に仲直りしたいと思ってたけど、君が来ないって分かってどうしようかと思って。まだ俺に怒ってるんだと思ってすごく後悔してた。まあ、あんなメッセージの書き方したら、君を不愉快にさせるだろうとは思ってたけど。不器用でごめん』「そう……だったんだ……」 やっぱり珠莉の言った通り、純也さんは愛美とケンカになったことを後悔していたのだ。『あの時はああ言ったけど、君の自立心とか向上心、俺はいいと思ってるよ。ただ、俺に甘えてもらえなくなるんじゃないか、なんて考えてしまったからついあんなことを言ってしまったんだ。ホント、男ってバカだろ? でも、決して本心じゃないってことは分かってほしいんだ』「うん、分かった。もういいよ、純也さん。わたしもあのケンカのことはなかったことにしてあげる。もう忘れるよ。わたしの方こそごめんなさい。だからもう、今日で仲直りしよう?」『そうだね。これで仲直りだ』「うん!」 もっと早くこうしていたらよかったのに、と愛美も思った。お互いに意地を張っていたけれど、仲直りしようと思えばこんなに簡単なことだったのだ。「あのね、純也さん。例の長編小説、夏休みの間に書き上がったんだよ。もう編集者さんにデータ送ってあって、今連絡待ちの状態なの」『そうか! お疲れさま。よく頑張ったね、愛美ちゃん』「ありがとう! やっぱり、純也さんにモデルになってもらったから、書き上がったら報告しなきゃと思って。遅くなってごめんね」 もっと早く仲直りできていたら、夏休みの間に報告できたのに。でも、遅くなってもちゃんと報告できたのでよかった。『いや、わざわざ報告ありがとう。本になったら俺も読んでみたいな』「まだ本になるって決まったわけじゃないけど、もしなったら買ってね。あ、それともわたしから見本誌をあげてもいいけど。その前にね、再来月に短編集が先に発売されることが決まってるの。そっちもぜひ」『あははっ、売り込み上手いねー。短編集も、発売されたらぜひ買わせてもらうよ』 愛美の必死な売り込みに純也さんは笑いつつも、「買う」と言ってくれた。それが彼の社交辞令だったとして
もしかしたら、愛美が「千藤農園に行かない」と手紙を出したから彼も行くのをやめて友人の誘いに乗ったのかな、と彼女は思った。「そうかもしれないわね。叔父さまもきっと意固地になってらっしゃったのよ。きっと今ごろ、あなたとケンカになってしまったことを後悔していらしてよ。もしかしたら、コアラでもご覧になりながら愛美さんのことを考えてらっしゃるかもしれないわね」「コアラ……、ぷくく……っ」 その光景を想像した愛美は、思わず吹き出した。「ダメだよー、愛美。笑っちゃ」「そういうさやかちゃんだって笑ってるじゃない」 あれだけ悩んでいたというのに、この親友二人のおかげで愛美の悩みなんてちっぽけなものに思えてきてしまうから不思議だ。「……よしっ! 二人とも、励ましてくれてありがとね。おかげでわたし、なんかスッキリした。さっそく純也さんにメッセージ送ってみるよ」 まずは彼に「ごめんなさい」と謝らなければ、と愛美は決意した。でも電話にしないのは、彼がもしかしたらまだオーストラリアにいるかもしれないので、時差のことを考えたからだった。 その点、メッセージなら彼の気づいたタイミングで見てもらえるし、既読がつけば見てくれたことがすぐに分かる。それだけでも安心材料になると思ったからだ。「そうだね、あたしもそれがいいと思うな」「私もそう思うわ。仲直りは早いに越したことはないもの」「うん、そうだよね」 というわけで、愛美はさっそく純也さんにメッセージを送信した。『純也さん、わたし、ついさっき寮に帰ってきました。 夏は意固地な態度取っちゃってごめんなさい。わたしもちょっと大人げなかったかな、って反省してます。 純也さんは今、まだオーストラリアですか? このメッセージに気づいたら、また連絡下さい』「…………なんか、久しぶりだからめちゃめちゃ他人行儀な文体になっちゃった。――あ」 自分で書き込んだ内容に苦笑いしていると、メッセージにすぐ既読マークがついた。「既読ついた。すぐに気づいてもらえたみたい」「えっ、マジ? ……あ、ホントだ」「よかったわね、愛美さん。オーストラリアとだったら時差が一時間しかないから、きっとすぐに純也叔父さまから連絡が来るわよ」 ……と珠莉が言い終わらないうちに、電話がかかってきた。発信元は純也さんの携帯だ。「……はい。純也さん?」『愛
――そうして、愛美の高校最後の夏はさいたま市の牧村家で終わりを迎え、さやかと二人で〈双葉寮〉へ帰ってきた。 この夏は海外旅行へ行かず、国内でファッション誌のモデルオーディションを受けまくっていた珠莉が先に寮へ帰ってきていて、部屋の勉強ペースで二人を出迎えてくれた。「愛美さん、さやかさん、おかえりなさい」「ただいま、珠莉ちゃん」「ただいまー、珠莉。オーディションおつかれさま! お兄ちゃんとはどう?」「おかげさまで、交際は順調よ。そして、なんと私、ついに有名ファッション誌の専属モデルに決まりましたのー!」「えっ、ホント!? おめでとう、珠莉ちゃん!」 自分だけでなく、珠莉もとうとう夢を叶えたことが愛美は嬉しかった。応援していた甲斐があったというものだ。「ありがとう、愛美さん。あなたと純也叔父さまのおかげよ。お父さまとお母さまも、叔父さまが説得して下さったおかげで私の夢を応援して下さるようになったの。でも、将来的には私に後継者になってほしいというのが本音みたい。そのために、私は経営学部に進むことに決めたのよ」「そっか。……あ、ところで珠莉ちゃん。昨日ね、純也さんからわたしにこんなメッセージが来てたんだけど」 愛美は床に荷物をドサリと下ろし、スマホのメッセージアプリの画面を開いて珠莉に見せる。『愛美ちゃん、ごめん! 俺もこの夏は千藤農園に行けなくなった。 大学時代の友達から一緒にオーストラリア旅行に行こうって誘われて。 愛美ちゃんは埼玉で楽しく過ごしなよ。淋しい思いをさせてごめん。』「……珠莉ちゃん、わたしがさやかちゃんのお家に行ってたこと、純也さんに教えた?」 珠莉はさやかから、そのことをメッセージで伝えられていたのだ。彼が知っていた理由は、珠莉から聞いたとしか思えない。「ええ、お伝えしたわよ。……あら、いけなかった?」「ううん。……実はね、わたし、まだ純也さんと仲直りできてないの。だから、これで仲直りのキッカケができたと思う。ありがとね、珠莉ちゃん」「あら、まだケンカ中だったの?」 意外そうに眼を見開いた珠莉に、愛美は肩をすくめながら答える。「うん、そうなんだよね……。千藤農園に行ってたら仲直りできてたかもしれないのに、それをすっぽかしてさやかちゃんのお家に行っちゃったもんだから、仲直りのチャンスを掴み損ねちゃって。でも、